FC2ブログ
陶芸を中心に愛犬柴犬、趣味の家庭菜園、釣り、テニスなどを画像入りで書いていました。今は花・自然・テニス・釣り・料理・旅行などを日記風に綴っています。

「果てのうるま」へ(八重山紀行ー波照間島編2)
251_convert_20110404085441.jpg

   「台風さえ来なければいい島なんだ!」果てのうるまの厚い石垣  くまお


252_convert_20110403113639.jpg

    平らかな珊瑚の島に寄り添いて人はサンゴの石垣築く  くまお

「トラベル派遣」のバスは私一人を乗せて、波照間の島巡りに出発しました。

225_convert_20110403112149_20110403115329.jpg

かつて租(年貢等)を納めた倉が、港近くに残されていました。
島民にとってさまざまな思いの詰まった倉なのでしょう。

226_convert_20110403112324.jpg

戦争マラリアで犠牲になった子供たちの慰霊碑です。
碑は西表島の方を向いています。
1945年3月末、波照間島に疎開命令が出されました。
疎開先は西表島の南部でした。
そこは誰も住まないマラリアの発生地域だったのです。

「疎開しなければ井戸に毒を入れて家も焼き払う。」
「一人でも島に残るものがあれば全員首をはねる。」と、
教師を装った軍人が日本刀で脅して強制疎開させました。

島内で飼っていた牛750頭、馬130頭、豚240頭、鶏5000羽が処分され、肉の大部分は島外に搬送されてしまいました。

波照間島への引き揚げは、1945年8月初めから行われました。
多くの人がすでにマラリアに罹患しており、引き揚げるとき元気だった人や復員してきた人にも次々と伝染して、波照間島はマラリアの有病地帯になってしまいました。
全人口1511人のうち、488人がマラリアで亡くなったそうです。
 
  *戦争マラリアの内容はウィキペディアによっています。

「証言による朗読劇」『ハテルマ・ハテルマ』は、私たちの先輩である栗原さんが創りました。
この悲劇を忘れないために各地で演じられています。

240_convert_20110403112735.jpg

旧藩時代の火番所です。あまり高くはありません。
私は登ってみました。海がよく見えました。
海の彼方に西表島がかすんで見えました。

241_convert_20110403112853.jpg

波照間島は平らな隆起サンゴ礁の島です。
一番高い所で約60mです。

243_convert_20110404141429.jpg

島にさとうきび畑が広がっていました。
サトウキビは収穫まで1年半かかるそうです。
私達の目には、さとうきびは無造作に生えているように見えます。
実際は畑の草取り、水やり、消毒と暑い中での作業は大変とのことでした。

265_convert_20110403113017.jpg

サトウキビは根元ほど甘く、丁寧に手刈りして葉を切り落とすと上等な黒砂糖ができます。
機械で刈ると倒れた根元がうまく刈れず、葉や土などの異物が混入して、苦くなるそうです。
黒砂糖の味は産地や作業の仕方、収穫した日によって随分違いがあると、娘が言っておりました。

231_convert_20110403114631.jpg

今回もランチ付のツアーでした。
途中居酒屋で昼食となりました。
私は一人でオリオンビールを飲み、ヘルシーな食事をいただきました。

235_convert_20110403114800.jpg

店名の「あがん」は「芋」のことだそうです。
居酒屋には泡盛のビンが沢山並べられていました。
夜は三線や歌声で盛り上がるのでしょう。

蛇口の付いた古酒らしき泡盛の壺が置かれていました。
ちょっとだけ飲んでみたい気がしました。
けれども帰りの船のことを考えて、自制しました。

泡盛は娘のいる与那国島に落ち着いてから飲むことにしました。

    2011.3.17                    くまお






今日のご訪問ありがとうございます。
下の「Comment」部をクリックすると別窓が開いてコメントの記入が出来ます。
お気軽にコメントをどうぞ。
Copyright © 陶芸アトリエ高瀬川. all rights reserved.
Customized by Kumanomi