陶芸を中心に愛犬柴犬、趣味の家庭菜園、釣り、テニスなどを画像入りで書いていました。今は花・自然・テニス・釣り・料理・旅行などを日記風に綴っています。

金ヶ崎城跡を訪ねて(福井県敦賀市)
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             * 金ヶ崎城跡より敦賀湾を望む

5月23日朝、彦根を出発した私は、敦賀に午前10時10分に到着しました。
お見舞いに行くまでに1時間ほど余裕がありました。
クマノミのお姉さんに教えていただき、私は敦賀金ヶ崎城跡を訪れました。
敦賀には何度も来ましたが、ここを訪れるのは初めてです。

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松尾芭蕉が「奥の細道」の旅中に敦賀を訪れています。

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中秋の夜は敦賀にとまりぬ。雨降りければ、

 * 月いづこ鐘はしづみて海の底   芭蕉 

                      (『草庵集』)


同じ日の句「名月や北国日和定めなき」が、『奥の細道』に見られます。

因みに、前日の八月十四日は晴れて、芭蕉は月見をしています。

   元禄二年つるがの湊に月を見て、気比の明神に詣、遊行上人の古例をきく

       * 月清し遊行のもてる砂の上  芭蕉 (『猿蓑』)

                          
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金ヶ崎城跡についての説明文です。
以下は説明文の抜粋です。

・・・・・ 南北朝時代の延元元年(1336年)十月、後醍醐天皇の命を受けた新田義貞が尊良親王・恒良親王を奉じて当時気比氏治の居城であったここ金ヶ崎城に入城、約半年間足利勢と戦い翌二年三月六日ついに落城、尊良親王、新田義顕(義貞嫡子)以下将士三〇〇余名が亡くなったと伝えられている。
 戦国時代の元亀六年(1570年)四月には、織田信長が朝倉義景討伐の軍を起こして徳川家康、木下藤吉郎(豊臣秀吉)等が敦賀に進軍、天筒城、金ヶ崎城を落とし越前に攻め入ろうとした時・・・・・

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金ヶ崎城跡に祀られている金崎宮です。

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「絹掛松」の由来です。

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150mほど坂道を上がると岬の突端に出ました。
通称「月見御殿跡」と呼ばれているところです。
海抜86mで、南北朝時代の金ヶ崎城の本丸跡といいます。
戦国時代などにも武将が月見をしたと伝えられています。

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月見御殿跡から敦賀湾と左手に敦賀半島が見渡せます。
敦賀半島には敦賀原発、そしてその背後に美浜原発があります。
ここからは見えません。
中央下の小島が絹掛崎です。

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右手は粉末石炭の荷揚げ港のようです。
遠く越前岬が続いています。
敦賀は昔から海路・陸路の要衝の地であったことを実感しました。

ほぼ1時間で金ヶ崎城跡の見学を終えました。
クマノミのお姉さんと一緒に、敦賀市内の病院に出かけました。
長年お世話になったクマノミのお兄さまのお見舞いができて、私はほっとしました。

帰りがけにクマノミのお姉さんより、越前そばや蕗の煮物や沢山の食料品をいただきました。
私が一人暮らしなのを心配してくれているのです。

午後1時過ぎに敦賀を立ち、帰途につきました。
午後6時半無事ヴィラのマンションに戻りました。

   2012.5.23          くまお



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