陶芸を中心に愛犬柴犬、趣味の家庭菜園、釣り、テニスなどを画像入りで書いていました。今は花・自然・テニス・釣り・料理・旅行などを日記風に綴っています。

青春の想い出の街静岡を訪ねて(その2)
DSCF7350.jpg

               * 静岡大学文理学部の旧校舎正門

10月6日(日)は晴れた日和となりました。
リゾートホテル「鈴桃」(りんどう)をチェックアウトした私たちは、静岡市在住の先輩の案内で想い出の場所を訪ねました。

DSCF6436.jpg
DSCF6424.jpg

大学は日本平の麓、片山の地に移転して、跡地は城北公園になっていました。

DSCF7373.jpg

通用門に立つ若き日のくまおです。
正面の建物は講堂でした。
向かって右手の校舎内に、私が4年間過ごした仰秀寮がありました。
木造二階建ての棟が、五つ並んで建っていました。
上下各6室で、一棟12室だったように覚えています。
6畳の部屋に二人ずつ住んでいました。
したがって、全寮生はかなりの人数になりました。
寮の二階の廊下からは、それぞれの季節の富士を眺めることが出来ました。

DSCF6425.jpg
DSCF6427.jpg

* 地のさざめごと秘めやかに 安倍の川瀬の奏づれば 芙蓉の峰は厳かに 天(あめ)の黙示をもらすなり ゆかしの陵(かや)静陵は ・・・・・   

仰秀寮の跡地には寮の歌碑が建てられていました。

DSCF6430.jpg

数本のヒマラヤシーザーだけが、当時のままの姿を留めていました。

DSCF6432.jpg

公園内の花時計の彼方に、ほんの少し富士が姿を見せてくれました。

DSCF7370.jpg

左上にある臨済寺は、徳川家康が今川氏の人質時代に一時過ごした寺です。

学校近くにあった飲み屋の「よっちゃん」・「竹の屋」・「モンドリアン」などは、探しても見当たりませんでした。
私と名古屋の先輩とが、1年間隣同士で過ごした安東小学校前の下宿は、駐車場になっていました。
50年余の歳月の流れの中に、形あるものは消えて、想い出の中に留まるだけとなっていました。

次に、私たちは日本平の麓に移転した大学に赴きました。

DSCF6445.jpg

歩いて行くのが大変な坂道のあちらこちらに、新校舎が建っていました。

DSCF6443.jpg

人文社会科学部の校舎は、一番の高台にありました。
現在は校舎の改装中のようでした。

DSCF6448.jpg

大学のモニュメントのようです。
ハトで平和を、かたつむりで勤勉を象徴しているのでしょうか?

大学の門を辞するとき、守衛室の事務員の方が和歌山ナンバーの車を見て、大きく手を振って別れを惜しんでくれました。

    2013.10.6           くまお

追記

寮費は月額500円、食費は一日三食で70円でした。
食費は後に80円、100円と値上げされました。
私は寮で4年、下宿で1年過ごしました。
寮の部屋では電気器具はいっさい使えず、廊下に共用の電気コンロが一台置かれていました。
暖を取るのは炭火の火鉢でした。

今日のご訪問ありがとうございます。
下の「Comment」部をクリックすると別窓が開いてコメントの記入が出来ます。
お気軽にコメントをどうぞ。

Comment

 秘密にする

Copyright © 陶芸アトリエ高瀬川. all rights reserved.
Customized by Kumanomi