陶芸を中心に愛犬柴犬、趣味の家庭菜園、釣り、テニスなどを画像入りで書いていました。今は花・自然・テニス・釣り・料理・旅行などを日記風に綴っています。

「旧 白良浜の消長と再生」(鈴木 昌著)を読んで
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白浜町の鈴木昌(まさる)さんが、白良浜についての40年の研究を小冊子にまとめられました。
その内容が12回にわたり、紀伊民報に掲載されました。

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11月1日(土)、鈴木さんは旧友との夕食会(東急ハーヴェスト)のついでに、拙宅を訪ねてくれました。
そして、紀伊民報に掲載された記事と、小冊子をいただきました。
鈴木さんは私の元同僚で、1940年生まれの同年代の方です。
現在、闘病生活にもかかわらず、研究・執筆活動を続けておられます。

紀伊民報の記事を読まれていない方に、ほんの少しだけ記事内容をご紹介します。

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瀬戸鉛山村が白浜町になったのは1940年です。
鈴木さんはまさに白浜町の誕生と共に生育されました。
しかも、生家は白良浜に隣接していました。

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かつて、白良浜の砂は高級ガラスの原料として売却されました。
当時の瀬戸鉛山村は、白砂の売却代金の10%前後の「白砂税」をかけました。
搬出された砂は5万トンで、大正5年では、村の総収入の3分の1が「白砂税」でした。

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白良浜は恵まれた地質環境のポケットビーチになっていると述べられています。
そして、冬には竹垣が延々と作られて、砂の飛翔を防ぐ養浜方法が取られました。

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白良浜の砂は白いばかりでなく、大正のころまでは砂を踏むとキュッと鳴く「鳴き砂」でありました。
そして、鈴木さんは、白良浜の砂はオーストラリア大陸の北端付近のどこかから当時のプレートに乗せられてきたのではないかという構想をいだいています。

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外国の大きなリゾート地には、「写真以外何も取るな。足跡以外何も残すな」という看板が立っています。
鈴木さんは白良浜での自己体験をもとに、次のように熱く語られています。

「白良浜もそろそろ開発やイベントによる利用ばかりでなく、誇りを持ってこの優れた遠浅で安全・安心な、鳴き砂の白い砂浜の復活・再現に向かって進んでいこうではないか。」と。

私は鈴木さんと同年代とあって、紀伊民報には掲載されていない部分にも大変親近感を覚えました。
「白良浜を中心とした生活の中で」や「太平洋戦争と白良浜」などです。

例えば、「砂ダンゴのつぶしあい」などは、読んでいて子供の頃夢中になって遊んだことが思い出されました。

興味を抱かれた方は、鈴木昌さんにご連絡いただければ、小冊子が手に入ると思います。
ともあれ、鈴木さんの研究・執筆活動が、今後とも進んでゆくを切に願っています。

      2014.11.3                   くまお

追記

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11月3日(月)の夕景です。


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あゆみさんへ
コメントありがとうございました。
杖を頼りに一歩一歩あゆまれる鈴木さんのお姿に感銘を受けました。
信念を貫き通そうとする一途な鈴木さんです。

あゆみさんも研究活動でお忙しいことと存じます。
ご健康に充分留意して頑張ってください。
くまお | URL | 2014/11/05/Wed 08:15[EDIT]
興味深く、拝見しました。
鈴木昌さんにはこれからも頑張ってほしいです。
しげよあゆみ | URL | 2014/11/05/Wed 01:12[EDIT]
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