陶芸を中心に愛犬柴犬、趣味の家庭菜園、釣り、テニスなどを画像入りで書いていました。今は花・自然・テニス・釣り・料理・旅行などを日記風に綴っています。

12月8日(月)という日
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            * 12月8日の穏やかな田辺湾の夕景


12月8日(月)の朝日新聞の「天声人語」を見て、ハッとしました。
 「今年の七曜は73年前と同じ巡りである。1941年12月8日の月曜の朝、臨時ニュースがラジオから流れた。・・・・・」


73年前というと、私が生まれて1年経った頃の事であります。
私の生まれた1940年(昭和15年)は、皇紀2600年と称されていました。
そのためか、私の名前は、「教訓の訓と克己の克」という堅苦しい名前になっています。


本日掲載の朝日歌壇・俳壇欄の「うたをよむ」には、ー渡辺白泉の「不思議な町」(筆者 関 悦史)ーと題する文が掲載されていました。
少し紹介しますと、

  銃後といふ不思議な町を丘で見た 

 これは渡辺白泉が昭和13年に発表した句である。・・・・・
 この句、今になって妙に切迫した響きをおびはじめた。「銃後」は「前線」と対になる言葉である。
 戦時体制だが町は静かなのだ。その静かさを白泉は恐怖する。・・・・・
 この翌年、昭和14年に白泉は次の句を発表した。

  戦争が廊下の奥に立ってゐた

 気づいたときには戦争は、暮らしにも内面にも立ち混じっている。いや、国民の側が招き入れている。
 翌15年、ただ俳句を作っていただけの人々が治安維持法違反の嫌疑をかけられ、白泉も検挙された。
 翌16年の今日、太平洋戦争開戦。「銃後」の非戦闘員も無差別に爆撃を受けた。・・・・・


今日の午後、私は何気なくテレビのチャンネルを回していたところ、「零戦燃ゆ」という映画が放映されていました。
戦闘機や軍艦には興味がないので、一度はスイッチをオフにしました。

他のチャンネルにいいのがないので、「零戦燃ゆ」を観ることにしました。
とてもいい映画でした。何度か涙を流しました。

私は子供の頃、防空壕に隠れたことやB29の爆音に脅えたことなどを思い出しました。

「明日(12月8日)は波が穏やかそうなので、磯釣りにでも出かけたいなあ。」と思っていた自分が、なんと間抜けだったことに気づかされました。
戦時の記憶がある人(70代以上)は、段々いなくなっしまいます。

つくづく考えさせられた一日でした。

    2014.12.8              くまお

追記

1944年(昭和19年)の12月7日の午後13時36分、「東南海地震」が発生しました。
その時、私は家の二階の物干し台にいました。
先輩や兄たちと遊んでいたのです。
ドドーンという音で、私たちは空襲だと思いました。
畳の部屋に駆け込み、身を伏せて、目と耳を両手で塞ぎました。

間もなく階下から、母親の「地震だ、早く下りて来い!」という叫び声が聞こえてきました。
私たちは梯子段を転ぶようにして下りました。
家の外に出ると、近所の大きな屋敷の土塀が倒れていました。

70年前の昨日のことでした。


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